駄菓子屋さん

梅ジャムという駄菓子が廃業になるという記事を読んだ

87才の生産者が70年間ずっと1人で作ってきた。

だが、体調の悪化や販売不振のため、店じまいを決めたという。

 

私が子供の頃は

町には駄菓子屋さんがあった。

(私は大田区で生まれ小学校卒業まで仲池上に住んでいた)

小さな古い木造のお店には

たいてい年取った女の人が店番をしていて

怪しいオモチャのような小さなお菓子が

ぎっしりと置いてあった

その中に梅ジャムも確かにあった

クジを引いて当たるともう一つ貰えたり

友達は楽しそうにお菓子を買って食べていた

私は一度も買って食べた事は無かった

お腹を壊しやすかったので

買い食いする事を母が禁じていたのだ

今もお腹が弱く、直ぐお腹を壊す

あれはどんな味がするんだろう?

食べてみたい気はするけれど

お腹を壊すのが怖くて食べられなかった

母はケーキもパンも何でも手作りの物を私に食べさせた

 

ワンピースもスカートもセーターも

ほとんど母の手作りだった

 

大きくなると駄菓子屋さんではなく

普通のお菓子屋さんのお菓子なら食べても良いことになった

 

小学校で同級生の田中君の家はお菓子屋さんだった

小学校に行く途中坂道になる手前にお菓子屋さんはあった

あの頃はお菓子だけのお店

乾物だけのお店

手芸用品だけのお店が当たり前だった

 

学校から帰ると私は

買い物籠を下げた母と

商店街に歩いて行った

その日食べる分だけ食材を買う

冷蔵庫に買いだめする事は無かったし

する必要も無かった

あの頃は働きに出ている母親など聞いた事も無かった

のんびりと時間を掛けて料理を手伝った

 

 

遠足の日は田中君家のお店で

100円までお菓子を買って持って行けた。

今で言えば1000円くらいだろうか?

1円のお菓子もあった

(しかも二個で1円)

チョコレートばかり買って笑われている子も居た

どうすれば好きなお菓子をできるだけ沢山買えるか

皆考えて選んでいた

 

大人になってから駄菓子を食べる機会が有った

想像していた物とはまるで違っていた

 

こんなことならこっそり食べてみたら良かった

今になって思えばよほど沢山食べなければ

お腹を壊すとは思えない

 

母が作ってくれたケーキやお菓子の味が懐かしい

私も子供達が幼かった頃は

パンやケーキお菓子も焼いた

 

今は家で食事さえ作らない生活になってしまった。

何もかもあまりに便利になってしまって

家事は機械がやってくれるし

お店にいる時間が長すぎて

私に日常生活はあるのだろうかと時々思う

 

梅ジャムは食べた事が無い

ネットで買ってみようと思ったけれど

考える事は皆同じ売り切れでした、残念。

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